ぶわーっと後ろから風が吹くみたいに、突然いろいろと聞こえてくるんです。
ふと見上げると、TVで、尊敬する児童文学家のミヒャエルエンデの昔のインタビュー映像
が流れてきて、その中で彼の父が画家だったこともあって、アーティストの社会における
役割を彼の言葉で話していました。しばらくして、養老猛司さんと宮崎駿監督は人を
育てるというお話しをしていました。子どもたちが産業に浸かっていて創造性が培われて
いないって。そしてまた別の日、故岡本太郎氏がピカソについて話していて、自分が、
誰かの作品に感動したらば、自分がやる時はそれを超えなければならない、その上をいか
なければならないって。。インタビュアーがどのあたりまで辿り着けましたか?と太郎氏に
訪ねると、「もう超えてるつもりですけど」と答えていました。インタビュアーは慌て
ふためいて、「失礼しました」って。
先日,MJの” This is it " を見て来ました。集中と努力と忍耐と理解と、とっても丁寧に
一生懸命に作り上げているマイケルがいました。これが、リハーサルではなく本番で
あったら、どんなに凄かった事か。もしかしたら、本当に出来上がってしまったら、その
完成度と、煌めきにみなその裏側にある素の彼が見えることはなかったのかもしれません。
私は、そんな素の彼から溢れるものを身体いっぱいに感じメラメラしました。
感受性が豊かである事は敏感であるが故に傷付きやすいのかもしれないです。けれど、
感受性が豊かである事は、感動する力もいっぱいです。
太郎氏のように、創る人は、感動したらばすぐさま、それと決別し、誰も見た事がない
自分の創造の旅に出ることになるのです。
そう、どんなに感動しても会いたくても、超えなければならない時は、決別の運命に
あるのです。
マブダチペルーが薄暗いアントワープで彷徨う私にずっしり資料を送ってくれた、レヴィ
ストロース氏が亡くなった事を知りました。。
私たちは何かを越えなければならない時なのかもしれません。確実に私には。
